マルボルク
ドイツ騎士団の居城であったマルボルク城(世界遺産)の街。
マルボルクはドイツ(チュートン)騎士団の居城がある町でグダニスク(グダンスク)から1時間半ほどのところにあります。とても大きなお城でどこを歩いているか分からなくなるほどです。数多くの展示がなされていますが、床暖房設備は一見の価値があります。
ⒸNordNordWest, 2008. GDFL1.2, CC-BY-SA-3.0
マルボルク
グダニスクの南東にあり、ドイツ騎士団の居城マルボルク城の城下町です。14世紀から15世紀にかけては市内を流れるノガト川の通行料や、琥珀貿易の独占権でマルボルクは潤っており、後にはハンザ同盟にも加盟していました。市内には14世紀のゴシック様式で建てられた市庁舎や、Sts(東方正教会、またはギリシャ正教会とも呼ばれます)の教会があります。
マルボルク城(世界遺産)
マルボルク城は1274年に創設されたドイツ騎士団(チュートン騎士団)の居城で15世紀半ばまでその本部がありました。ヨーロッパ最大のゴシック建築城郭です。ポーランドに乞われてこの地に着ましたが、勢力を拡大しすぎてポーランドに滅ぼされます。第2次大戦の際籠城したドイツ軍とソ連軍の攻防で城のほとんどが破壊されましたが、その後復元されています。ⒸDerHexer; 2010, GDFL1.2, CC-BY-SA3.0
マルボルク城(世界遺産)
マルボルク城の中は博物館になっており、当時の生活やお城の中のお部屋や当時のキッチンも再現されています。城内にはチャペルまであり、ステンドグラスなども展示されています。一番の見どころはこのお城の床暖房設備です。13世紀に同のような床暖房設備があったのかとても興味がそそられます。
ⒸDerHexer, 2010, GDFL1.2, CC-BY-SA3.0,2.5,2.0,1.0
Ⓒkallerna, 2013, CC-BY-SA3.0
ⒸDerHexer, 2010, GDFL1.2, CC-BY-SA3.0,2.5,2.0,1.0
©Lvova Anastasiya2010, CC-BY-SA3.0
グルンヴァルトの戦い
1417年7月のポーランド・リトアニア連合軍とマルボルク城のドイツ騎士団との戦闘です。この戦いを機にドイツ騎士団は衰退していきます。その戦いを記念してグルンヴァルト歴史祭りが毎年7月に開かれ和気あいあいと楽しく戦っています。
©2010,GDFL1.2,
ドイツ(チュートン)騎士団
ドイツ騎士団とは12世紀ごろ巡礼信者を守るための組織されたカトリックの騎士修道会です。チュートン騎士団とも呼ばれています。
13世紀にポーランド王からの要請でバルト海沿岸地域を守るようになり、武器の使用を認められていたため領土を拡大してゆき、マルボルクを首都としたドイツ騎士団国となります。ハンザ同盟都市とも結びつき最盛期を迎えますが次第に周りとの軋轢を生み、1410年グルンヴァルトの戦いでの敗戦で衰退しポーランドの支配下に入りました。
ハンザ同盟
「ハンザ」は古ドイツ語で都市の間を交易してまわる商人の組合的団体のことを指していました。ハンザ同盟の中核を占める北ドイツの都市は相互に独立性と平等性を保つ緩やかな同盟でしたが、経済的連合にとどまらず時には政治的・軍事的連合として機能しました。ハンザ同盟には中央機構は存在せず、同盟の決定に拘束力も弱かったので、政策においてはそれぞれの都市の利害が優先されていました。