聖十字架教会①
17世紀の終わりに建てられた教会で、正面には2つの塔を持っています。教会の入り口へのぼる階段の上には十字架を背負ったイエズス・キリスト像が建っています。これは戦後に設置されました。お墓は下の階にあり、ポーランドの著名人の墓碑銘や追悼文が上の階に飾られています。ショパン一家もこの教会に通っていました。身廊(入口から主祭壇に向かう通路)に向かって左から2つ目の柱にはショパンの心臓が入った壺が安置されています。フレデリックの姉ルドヴィカは弟の望みを聞き入れ、祖国へ彼の心臓を持ち帰りました。ショパンの享年は39歳1849年のことです。ⒸMarcin Białek, 2010, CC-BY-SA3.0
聖十字架教会②
ショパンがパリで亡くなる前にお姉さんのルドヴィカに心臓だけは祖国にと伝えます。当時フランスはロシアとの戦争に敗れ、ポーランドはロシアの占領下。簡単には帰れないという事情がありましたが、ルドヴィカは何とか帰り、ロシア政府の反応を恐れ自宅に心臓を保管していました。その後、ポーランドキリスト教会の助けをかりてカタコンペ(地下墓地)に移されます。その後ショパンの甥であるアントニによって一度は聖十字架教会の柱の中に安置されます。
聖十字架教会③
1944年ナチスドイツに立ち向かったワルシャワ蜂起のときにショパンの心臓がドイツ軍によって教会から持ち出され、ワルシャワ司教に預けられます。司教は小さな町の神父の館に隠します。
終戦後1945年10月17日ショパンの心臓は聖十字架教会に戻りました。
ホノラトカ
1826年の老舗のレストランです。ショパンが通ったっことでも有名です。店内の壁にはショパンの絵が描かれています。旧市街広場から歩いて5分ぐらいの大通りに面しています。
ショパンのベンチ
ワルシャワ観光のメインストリート、クラクフ郊外通りにはショパンのベンチが数か所に置かれており、王宮広場にも、ワルシャワ大学前にもあります。ベンチの座面にボタンがあり、押すとショパンの音楽が流れます。ベンチによって曲目が違っていて、押してみてのお楽しみです。
ⒸWistula, 2011, GDFL1.2,CC-BY-SA3.0
ショパン像前のコンサート
学生のショパンが夏休みを過ごした村